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すっかり桜も満開となりました。ちょうど1年前のこの時期は、選挙戦の真っ只中で桜を見る余裕などありませんでしたが、その分今年は所々で花開く桜の魅力に引き込まれ、日本の四季のすばらしさをしみじみと感じています。
そんな桜の花がまだつぼみであった3月下旬、熊本県にあるハンセン病の国立療養所菊池恵楓園を訪れました。言うまでもなくこの施設は、かつてハンセン病患者が、差別と偏見によって地域から排除され、不当な人権侵害を伴いつつ、終生一般社会から隔離した生活を強いられた場所であります。 |
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終生と書くのは、この施設が療養所という名目を持ちながらも、一度ハンセン病に感染した人は、病気が完治しても退所が許されないというのが暗黙のルールとなっていたからです。 |
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国立療養所菊池恵楓園(けいふうえん)にて
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元患者の方と施設を回り、納骨堂や旧監禁室、資料館などでそれぞれお話を伺いました。
入所と同時に、自分が死んだ際に自分の体を解剖することを認める「解剖依頼書」に強制的に署名させられることや、入所者に「断種」や「人工中絶」の手術が強要され、その結果として胎児がホルマリン漬けの標本にされていたこと。地域の差別から家族・親類を守るため、死してなお、氏名や住所を明かさぬことを求める人が数多くいることなど、話の内容は大変な衝撃を受けるものでした。 |
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かつて園には、入所者の脱走防止のため、コンクリート製の壁が築かれていたそうです。その壁の一部が資料館に残っていますが、そこにはこぶし大の穴がひとつ開いています。
聞けば、子どもたちが、今日こそは自分の親が迎えに来てくれるのではないかという期待を抱き外を見続け、あるいは入所者が故郷を想い、外界を眺めていたことから「望郷の窓」と呼ばれていたそうです。しかし、実際には、親が迎えに来ることも、故郷に帰ることも叶いませんでした。
戦後間もなく、ハンセン病が医学的に完治する病気だと証明されてからも、社会や地域、家族から隔離された生活を強いられ続けてきた患者の方の絶望はどれほどだったでしょうか。(つづく) |
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