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みよし市戦没者追悼式 追悼の辞

2015.07.31

この追悼の辞を読んだのは4月ですが、現在、国会で審議中の安保法制に対する考え方にも関連するので、載せた方がよいとのご意見を多くいただきましたので掲載いたします。


本日ここに、みよし市戦没者追悼式が採り行われるにあたり、先の大戦で亡くなられたすべての御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。

 

戦後70年の節目を迎えるにあたり、大きく時代は流れても、なお癒されることのない、ご遺族の深い悲しみと追慕の気持ちに思いをいたすとき、万感胸に迫るものがあります。

 

戦争による、辛く悲しい思いは、遺児だけでなく、夫、兄弟、子息を奪われたすべての遺族に共通するものであります。

 

今日私たちが享受している平和と繁栄が、戦没者の方々の尊い犠牲の上に築かれていることを思い、戦没者の方々に敬意と感謝の誠を捧げます。

 

桜の木々も満開の花から葉桜へと移り変わっていく今日、散りゆく桜に戦没者の方の姿を重ね、戦地へと旅立つ心情と異国の地で戦禍に倒れた無念を想い、そして家族のことを想う純粋な気持ちを思うとき、心からの哀惜の念に堪えません。

 

歴史は自らは語らず、歴史から学ぼうとする者に語りかけると言われています。
戦後70年という時の流れは、社会から戦争の傷跡を癒していくと同時に戦争経験者の数を年々減らし、戦争の悲惨さという感覚をも持ち去ろうとするものであります。

 

しかし忘れてはならないのは、記憶の風化と戦争の悲惨さという冷厳な事実は、全く異なるということであります。

 

戦争とは、国家が、命よりも大切なものを奪い合う行為であります。
しかし、その大儀の影には、多くの犠牲があり、凄惨な現実があります。
そして、一人一人の命よりも大切なものとは一体何なのでしょうか。

 

先の大戦で亡くなられた方は310万人にも上ります。
その一人一人に名前があり、人生があり、家族があります。
一体どれほどの悲しみが国中を覆ったことでしょうか。

 

戦争に勝者はなく、残るのは多くの涙だけだ。とは戦争経験者の方の言葉であります。私たちはこの戦争という問題に対し、今こそ真剣に向き合っていかなければなりません。

 

今年1月31日に逝去されたドイツのヴァイツゼッカー元大統領は「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険にも陥りやすい」と述べています。

 

私たちは歴史から学ばなくてはなりません。
戦争を考える時、私たちは想像しなくてはなりません。
自らの家族が戦地へ赴き、暴力と憎しみ、悲しみの連鎖の中に投げ出される姿を。

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